知れば知るほど楽しくなる東京(江戸)の町の地名と歴史

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おすすめの本「江戸東京散歩」アマゾン評価4.8(22人)


おすすめの本です

なんと評価★がほぼ満点の4.8です。22人

切絵図・現代図で歩く江戸東京散歩
(古地図ライブラリー別冊)
切絵図・現代図で歩く江戸東京散歩


人文社編集部 (編集), 安田 就視 わたなべ こういち
大型本: 136ページ

左ページが古地図、右ページが現代地図になっていますので対比ができます。
これだけでも楽しい時間がすごせます。


高評価のカスタムレビューを抜粋すると

古地図で楽しむ鬼平・忠臣蔵の世界。
時代小説に出てくる地名と地名の位置関係・距離感・地理条件等々・・・
今までは漫然と文字を追うしかなかったことが、いちいち切絵図で確認できてしまう。

この本は江戸時代の切絵図と現代の地図を対比している。本を片手に街を歩くと、いままで気にも留めなかった交差点や道のカーブさえ、江戸時代のままであることに気が付いた。

などなど

実際の東京散歩で使えたり

鬼平犯科帳などの小説の確認用としても使っている人がいるようです。



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明暦の大火で江戸城と江戸の町は大きく変わった

明暦3年「明暦の大火」1月18日〜20日

死者10万人、江戸の三分の二が焼けた大火事です。

明暦の大火の記事

この火事をきっかけに江戸は大きく変わりました。

江戸城
権力の象徴だった江戸城天守閣は再建されませんでした。天守台を残すのみ。
敷地に空き地を増やすため城外に屋敷を移させました。

四代家綱の弟の綱重と綱吉の屋敷
尾張、紀伊、水戸の御三家
以下の大名の屋敷はすべて城外に移されました。


大きな大名の上屋敷は規模も大きくなりました。

本郷の前田家は10万4千坪で現在の文京区東京大学です。

市ヶ谷の尾張家は7万5千坪で、新宿の現在自衛隊駐屯地です。

小石川の水戸家は10万坪で、現在は後楽園です。

旗本の屋敷は、半蔵門から四谷見附に至る外堀や九段から神田にかけて多くありました。

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江戸の大火事「明暦の大火」で焼け野原

江戸城、江戸の町づくりがはじまって約50年

明暦3年「明暦の大火」が起こる。
1月18日昼過ぎ、本郷丸山町(文京区)の本妙寺で火事は起こった。

折からの激しい北西風を受けて、湯島から駿河台に広がり、湯島天神や神田明神、東本願寺なども焼かれ、

さらに、神田、日本橋方面に南下し、商業地域も焼き尽くされた。

さらに、夕方には西風に変わり、佃島や石川島の町屋も焼失した。

19日夜明けに火はようやく収まった。が

その日の午前11時過ぎ、小石川伝通院下(文京区)の新鷹匠町の大番与力の宿舎から出火した。

北西風に煽られ、本郷元町の吉祥寺から小石川の水戸藩屋敷、竹橋付近で堀を越え、江戸城内に燃え移ってしまった。

江戸城内では、天守閣、本丸、二の丸が炎上、4代将軍家綱は西の丸に避難。

江戸城周辺の大名屋敷や飯田町、番町、市ヶ谷などの旗本屋敷も焼き尽くされた。

さらに、麹町町五丁目の町屋から、出火し、桜田、西の丸下、愛宕下の大名屋敷を焼き、芝口から海に至り20日午前に鎮火した

多くの被害と市民が死亡した。

江戸城内の建造物
藩邸160余
旗本屋敷770余
寺社350余
町屋400町余
橋梁61

市街地の三分の二

死者10万二千人
死者を葬るため本所牛島(墨田区)に回向院を創建した。

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明暦の大火の後の江戸城

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